No.3:ジョイコンサルティング株式会社 代表取締役 木村志義氏
「理想の仕事環境は自分自身の手で創る!!」
大学を卒業して、サラリーマンを11年ちょっとぐらいやりまして、その間、すごく仕事にやりがいを感じたり、逆にすごくやりがいを感じなくて、自分で転職をしたり、いろいろなことを12年間の中で経験しまして、起業する直前の状態として、自分としては、転職してきて、ここだったら間違いなく楽しく働けるだろうと思って、転職したはずなんですが、全然予測と違って、非常に楽しく働けない環境にあって、自分でどうしようかと思ったときに、私の中に働くことは大事なことという位置づけがあったので、このままにしたくないなと思い、どうしていこうかと考えたときにもう一回転職しても同じことになるということがわかりましたりし、その中で自分で働きたい環境を自分で創るしかないのかな、自分で何かを始める、ゼロから創れば、それは当然自分の働きたい環境でしょう、これは独立しかないんだ、と自分の中で気づいたのが2001年秋でして、その半年後の2002年4月末に会社を辞めて、2002年5月から今の会社を始めたというのが、起業の経緯です。
不安、ありましたね、不安というか恐怖がありました。恐怖が。2001年秋に起業を決心したんですが、実際なかなか始めないんですね、準備と称して。準備も何もしてないんですよ(笑)。そして、なかなか始めなくて、ウダウダしていたんですけど、ある日、テレビ番組を見て、ホームレスから甦った社長のインタビューなんですが、それを聞いて、血の気がサーッと引いて、そのとき思ったのは、自分が起業を引き延ばしやらないのは、ホームレスになるのが怖かったんだというのが、そのとき自覚できたんですね。
結構、原因がわかると、前に進めるようになって、ホームレスになるリスクと起業して楽しく働けるチャンス、どっちを取ろうかなと。結局どっちかを取るしかないんだな~と。起業するとホームレスになるリスクがついてくる、今までのサラリーマンを続けるとホームレスになるリスクが非常に減る、このセットが二つあった場合に、じゃあ実際、ホームレスになるとはどういうことかなと考えたとき、最近のホームレスは食べ物も良くて、成人病になってる人だっている、銀座あたりなんかだと、コレステロール値も高くて。
もし、ホームレスになっても、日雇いの土方の仕事だったら、やる気があったら、仕事はあるんじゃないか、幸い体力には自信があったし、そこから甦ることも可能だし、もしかしたら、ホームレスになるというのも、一つの貴重な滅多にできない経験かなぐらいに考えたら、「まあいいか。なってしまってもいいか。」そんな気持ちになれたので、その次の日ぐらいには会社に辞表を出せたということで、結果的には、その恐怖というのは、克服しました。
いや、私自身がメーカーで営業というキャリアだったので、人材紹介をやったことがなかったですし、障害者の方とも会ったことがなく、障害者の方と会って、障害者の方ってどういう方たちがいるんだ、いうところから入っていますんで、売り上げが始めて上がったのは、起業して9ヵ月後、2003年2月1日入社の方が初めて紹介できた方なので、大して資金もなく始めた事業で、資金ショート寸前で何とか売り上げが上がったという感じなんですけれども、そのときもやばいな、という危機感はあったんですけど、ホームレスになっちゃうな、という危機感はあったんですけど、ちょうど冬ぐらいにピンチが来て、ただ、ちょっと今は冬でホームレスになるのは寒いから、春になったらホームレスは楽だな、春ぐらいまでは頑張ろうとか、意外とそういう気楽な感じで考えられていたので、恐怖感というよりは、不安はありましたけど、自分の中で一旦ホームレスになるということを受け入れていましたので、ホームレスになるなら春からにしよう、とか客観的に考えられていたので、パニックとかにならずにいれました。
初めて売り上げが上がる4ヶ月くらい前、2002年の終わりくらいにホームページを開設し、それを見た大手新聞社が記事にしてくれたり、ホームページで当社の存在を知った方が転職支援サービスを申し込み、サイトの登録者が増えて、2003年の夏ぐらいから売り上げの上昇カーブを描いて、2003年の秋から暮れにかけては、お蔭様でかなり立て続けに売り上げが上がりました。
2004年のあたまぐらいに、マスコミでも多く取り上げられたせいか、そこそこ資金力のある会社から買収の提案など受けたりして、マーケットの可能性を感じたり、次は大きくしていこうということで、社員を雇うようになり、比較的順調に進んでいきました。
運が良かったんですかね。ある取材を受けた記者にも言われたんですけど、その記者は何年も障害者雇用のことを追っかけていて「一番良い時期だったんじゃないですかね、振り返ってみれば。もうちょっと早過ぎると、まだ時代の意識が障害者雇用に向けれてなくて、受け入れられなかっただろうし、もう少し遅いと逆に時代が進んでくるんで、同じようなことを考えている人の競争が激しく、パイオニアとしての恩恵に預かれなかったのではないか。」というようなことを言われて、別にタイミングを意識して始めた訳でもなくて、流れの中でやったビジネスだったので、そういった意味で運が良かったのかなと。
リスクを背負って行動するかどうか。それが運命の女神に愛されるコツかな、と感じています。
まずは、いまやっているビジネスを広げたいというのがあります。去年ハローワーク経由で就職をした人が4万人いるんですね。その中で当社がお手伝いできているのは、ほんの一部。まだまだ、当社でサポートさせていただける方が多く存在しているのではないかと感じています。
新しい取り組みもしていくんですけど、基本的には障害者の就職という延長線上でビジネスを伸ばしていきたいというのがあります。それである程度の財政的な基盤ができたら、今度はクライアント企業のニーズに応えるだけではなくて、逆に就職が今困難になっている障害者の方たちをビジネスとして就職に結びつけられるような提案をしていけるような企業にしていきたいと思っています。
気の合う人と働くのがいいのかな、と思っていたんですけど、昨日見たテレビによると、組織の中に経営者は敵も作った方がいいと、仲良しグループだと、本当に新しいクリエイティブなことも生まれてこない、ということで、決して気が合うというのがいいことではないと。
そういう次元とはまた別に、私は会社を拡大していきたいというのがあるので、そっちの方を見ている人がいい。もし、障害者雇用のビジネスの中でできるだろうということがほぼできたとしたら、別のカテゴリの雇用に関するビジネスもありだと思うんで、枠を設けずに広げていきたいと思っているので、そういう風に思っている人と働くのが一番いいのかなと思います。
仕事は一生やりがいをもって取り組んでいきたいというキャリア観から、転職も経験し、行き着いた一つの答えが「起業」という木村社長。
起業を決意してから、なかなか行動が進まなかったときも、恐怖を乗り越えるのではなくて、具体的にイメージして、腹をくくったからこそ、結果的に恐怖を克服し、その後、リスクを背負って行動し、運を引き寄せていけたのだろうなとインタビューを通して、感じられました。